ホ ケ キ ョ 影 絵 芝 居

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    ◆ プロフィール  ……… p r o f i l e



 世界旅行、その後インドネシアに滞在

 若い頃の晴琉屋フンが、大学を休学して外国を一年間ほど自転車で旅しました。 (シベリア鉄道でロシア、そこから自転車でぐるっとヨーロッパ、 最後にバスでトルコからインドまで。 その後大学は復学し、なんとか卒業)
 「もっと面白い旅行がしたい……。なんか芸をしながら旅行するとか?」
  そんな時、知り合いからインドネシアに影絵芝居の学校があることを聞きつけ、 「ほお〜!」で、インドネシアで伝統の影絵芝居(ワヤン・クリッ)を勉強することに。 ジャカルタの大学でインドネシア語を勉強した後、影絵の中心地ジョグジャカルタで先生を探して入門。 最初「……つまんねぇ」と思って(失礼)、バリの踊りに夢中だったのですが……

 ある時、浮世絵の写楽風な侍の人形を作り、むこうの影絵の世界(マハーバーラタ) に侍が 登場する話を師匠の前座でやらしてもらってから、急に面白くなって。 その後、芸術大学の学生たちと組んで、1時間くらいの自作演目を何箇所かでやって、 ものすごくうけました。( その時のメンバーの一人が、短期留学中のせせら小梅です。)
 
 当初2年くらいで何とかするつもりが、いろいろあって7年半。
 
 その後、日本に帰らないまま、せせら小梅と組んで、念願の大道芸の旅
ヨーロッパへ。 約半年、ヨーロッパの国々を回りました。商店街のシャッターの閉まっている店の前などに幕を張って、 せせら小梅のバリの楽器に合わせ、10分位のチャンバラのアクション物を日本語で。
 飯代と宿代くらいは儲かり、やっぱり通り過ぎるだけの旅行とは一味違い面白かった。 でも、大道芸に必須のアクの強さや押しの強さが、どうも性に合わない。 それと言葉の飢え。セリフの面白さで笑わせたい。 ならば日本に帰り、チケットを売った緊張感の中で芝居をしてみようと、 帰国したのでありました。


 日本での活動へ

 まず以前、陶芸の体験のために住んでいた愛知県の常滑に。
愛知県は人形劇が盛んなためか、影絵だけで暮らせるようになるのが意外に早かった。 でもうちらが「人形劇」というジャンルに組み込まれるのに、多少違和感はありました。
 そこに4年ほど住んで、「海なら海、山なら山。もっとはっきりしたところに住みたい!」 と、長野県の飯田市の山奥の村に引っ越し。(古い大きな家が、テニスコート大の畑付きで月1万円! お風呂は薪。)
 このあたりから、全国各地の親子劇場での仕事が来るようになり、 長女・雨枝(うき)連れでいろいろなところで仕事をしました。

 そして子供と両親のことを考え、 せせら小梅の祖父母が住んでいた千葉県の館山市に引っ越し。 長男・六(ろく)が生まれ、家族4人で公演し……

   ……現在に至ります。